【天気の子】~いろんなシーンの描写や設定が現実の社会問題
要約: 【天気の子】~いろんなシーンの描写や設定が現実の社会問題
目次
映画「天気の子」のテーマ
皆さん、映画「天気の子」は見に行かれましたでしょうか?
筆者は見てきました。感想は「大変面白かったです。」
面白いだけでなく、新海監督は今回の映画で、すごい興味深いテーマを扱っているなと感じました。
そのテーマというのは
「現実性」です。
つまりは、「現実味がある描写」であったり、「実際の社会に起きている問題を反映している描写」が多く含まれていました。
メインテーマなのか?と思えるほどに。
この「天気の子」という映画の中で様々な「現実性」のある描写や設定があるので、今回は皆さんに、それを知ってもらい、作品をまた違う視点で見るきっかけになれば良いなと思っております。
ほとんどの人が「君の名は。」をイメージして劇場へ足を運ばれたと思うので。
特に、これから「二回目を見る」ような人たちには、ぜひこの記事を読んでいただきたいです!
余談ながら、同じく新海誠さんの作品である「君の名は。」とは、扱っているテーマの重さが全く違うので、比べるべきではないです。
しかし、「君の名は。」の方が、全体的に明るいテーマなので、万人受けはしやすかったようですね。
「天気の子」はテーマが少し重いため、万人に受けているわけではないようです。
下記に「現実性」が見て取れる描写を挙げましたので、ご覧ください。
ネタバレを含むので、ご注意ください。
家出する主人公と保護者がいないヒロイン
映画本編は、とある島から家出してきた「帆高」という高校1年生が主人公です。
加えて、ヒロインの「陽菜」は幼少期に親を無くしていて、、、ここまではまあ正常な描写なんですが。
まさかの子供だけで生活しているという設定なんですよ。
この設定は、実際に東京に住んでいる少年たちの実問題を元にしているように感じました。
作中で、「君の名は。」の瀧くんのおばあちゃんの「今の子供たちはかわいそうだね。昔はもっと色んな天気があって色んなことができた」というセリフがありますが。
これは今の若者にも言えることですよね。昔は外に出て遊びに行って、心を育む機会があったのに、今はスマホが普及して心が成長する機会が失われてしまって、今回の主人公のような「異常な子供」が多くなってきています。
「天気の子の世界」では「雨」。「現実世界」では「ネットなど」。と、「子供の心の成長を止めているもの」という共通点でわざと重ねていることが分かりますね。
この設定だけなら、思い過ごしかな?とも思うんですが、下記に続くテーマを見ていくと明らかに異常な子供の描写を意図的にしていると感じざるを得ないと思えると思います。
その他に、「親がいるのに望んで家出した帆高」と「望まずして帰る場所を無くした陽菜」の対比の描写も、注意深く観るとキャラのちょっとした表情やセリフに表れているので、面白いと思いますよ。
簡単に銃を人に向け、引き金を引いてしまう主人公
マフィアが破棄した銃を帆高が拾って、水商売に手を出そうとしている陽菜を助けるシーンありましたよね。
ここで、ワルなお兄さんに捕まって殴られて、カッとなって帆高はお兄さんに銃を向け、当たらなかったとはいえ引き金を引いたわけなんですが。
これもちょっと深い描写だと思いませんか?
「子供×銃」ってゆーのを「君の名は。」の反響で老若男女な人々が鑑賞しに来るのを分かっている「天気の子」でわざわざ描写するってゆーのは何か伝えたいものがあるように強く感じます。
「子供が銃の引き金を引く」ってそうそう出来ることではなくって、言い方を悪くすれば「異常」じゃないと引くことはできないように思います。
ここの描写で子供の性質が昔と比べて異常な方向に向いている現実社会を反映している部分ではないのかなと筆者は考察してます。
余談ながら、ヒロインの陽菜は、そこらへんの感覚は正常な様です。
帆高と陽菜と凪君の三人が、警察官に補導されかけたときに、帆高が囮となって警察官に確保されてしまったシーンがありました。
その時、陽菜は帆高を助けようと、空に向かって「お願い!」と願いました。
すると映画で皆さんご覧になったように、落雷が起き、トラックに火花が引火。爆発を起こし、警察官の注意はそっちに向き、見事三人は逃亡に成功します。
このシーンの落雷が起こった時の「陽菜の反応」に注目です。
陽菜は、帆高を助けたい一心で空に祈ったのであり、落雷を意図的に発生させたわけではないですし、その落雷がトラックに当たって爆発したのを見て、陽菜はとても混乱。
陽菜の祈った両の手は、ひどく震えていました。
トラックには人が乗っていた可能性も当然ありますし、爆発に巻き込まれた人々の存在も否定できません。
陽菜は人を傷つけてしまったかもしれないことにショック(罪の意識)を受ける描写がきちんと描かれており、「引き金を引く帆高」を軽蔑した前半のシーンが生きてくる非常に大事なシーンでした。
状況をただ、傍観する一般人
これは、もう天気の巫女の力を使いすぎて、陽菜が空と繋がってしまい、帆高が鳥居を目指して走っているときのシーン。
帆高が電車の線路を走っているのを、ただ携帯で動画撮影したり、傍観しているだけの一般人がひどく印象に残ります。
現実社会でもこれは問題視されています。とゆーかこの社会問題に被せてこれも描写したんでしょう。
今現在、過激な問題動画が無責任にTwitterなどでアップされていますしね
主人公を捕まえる警察
皆さん記憶にありますでしょうか?後半パートで帆高を追いかけていた「リーゼントの警察官」を!
これが「高井刑事」です!
この高井刑事含めた警視庁が、帆高をしつこく追い回す描写をみて、正直うっとうしく感じた人もいるのではないでしょうか?
あくまで、主人公目線なので、当たり前っちゃ当たり前なんですが、ここでは少し一歩離れて客観的に警察官たちを見てみましょう。
この警察官たちは、業務を遂行しているだけなんですよね。
態度が。。。って思う方もいると思いますが
実際、帆高のような少年が東京にいたらこんな扱い受けませんか?
「空に彼女がいる」とか「天気と引き換えに」とか言う子供がいたら、実際にこんな態度で対応すると思います。
ここら辺が、「天気の子」でもっとも面白かった点です。
最初に書いた様に、映画内での「現実性」の描写が本当に繊細で美しいです。
特に、「須賀さん」の
「人柱ひとりで天気が戻るなら、大歓迎だけどね。・・・ていうかみんなそうだろ。」
このセリフが本当に刺さります。
そうなんですよね。実際にこんなことが東京で起きたら、ほとんどの人の反応はこれです。
このあたりのリアルな描写。新海さんほんと上手です。
当たり前のようにカップラーメンを食べる子供
作中で、帆高も陽菜もカップラーメンを頻繁に口にしていました。
最近の子供によくみられる、良くない傾向の一つです。
まだ幼い子供が、カップラーメンとポテトチップスで作ったチャーハンを食べているのを見て、違和感を感じれた方は、そんなに多くはないんじゃないでしょうか。
そもそもそんなスタンスで見ている人も少ないですが。
とある記事によれば、リアルな描写や、社会問題を取り上げた描写をした所為で、一部の「不評」が起きてしまったのも事実みたいです。
結局、禁煙を破ってしまう須賀さん
警察から、誘拐容疑がかかり、帆高を事務所から追い出して自己嫌悪に陥ってしまい、須賀さんは禁煙を破ってしまうのです。
画像の権利者: 2019「天気の子」制作委員会
決心をしても、全部が全部うまくいくわけじゃないと。
ここもアニメ特有のご都合主義をバッサリ切り捨てた。思い切った描写でしたね。
ヒロインを選んだ代償の描写
これは、映画「天気の子」のラストシーンのことです。
よく、アニメなどでは結局何もかもハッピーエンドになるいわゆる「ご都合主義」が王道なのですが、「天気の子」はそうではありませんでした。
「現実性」をここまでいろんなシーンで出しているだけあります。
代償の描写は、二つありました。
- 「世界の天気」より「陽菜ひとり」を選んだ帆高が責任を自覚するシーン。
- 人柱である陽菜と引き換えに、荒れ続ける天気とその影響で引っ越すことになった瀧くんの実家の描写
この二つです。
1,は陽菜と再会した直後のシーンです。
陽菜と再会出来て、よかった。と安堵した後にしっかりと「いや!僕は陽菜を選んだ。そのせいで世界の仕組みを変えてしまったんだ!」と、自分が犯したことへの責任を自覚するシーンは見ていて気持ちが良かったですし、後味もスッキリです。
2,は上記で述べた「責任の可視化」をしていますね。
瀧くんの一家は、帆高の所為で引っ越しをする羽目になりました。描写されていないだけで数多くの家が同じような影響を受けているでしょう。
帆高がした選択とその結果起きた責任が、こうやって目に見える描写となって表現されているので、物語の締まりが良くなってます。
キャラの心情を大切にすることで定評のある「新海監督」ですが、「天気の子」は歴作の中でもかなり高度な描写や表現が織り込まれていて、繰り返し見ることで味が出てくるタイプの作品になっています。
二回目以降のご鑑賞もぜひ、今回のテーマも踏まえて見て頂けるきっかけになれば幸いです。
それでは、また次回。
8/13 5:20 ~天気を祈りながら、コーヒーを一啜り~
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